ギャラリー陶ほうざん ミニ資料集

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信楽焼について
信楽(しがらき)は滋賀県の南部にあり、周囲を山に囲まれ、花崗岩層が広く分布しているため、古来より陶器作りに適した良質な土に恵まれました。

琵琶湖資料によりますと、琵琶湖は世界でも有数の古代湖で、おおよそ400万年前くらいにできたのではないかと言われています。
琵琶湖は当初から現在の場所にあったのではなく、形を変え場所を移しながら、今の姿になったということです。
その歴史の中で、おおよそ270万年〜250万年前には、現在の信楽の周辺に「甲賀湖」と呼ばれている古代の琵琶湖があり、川の流れによって運ばれて来た土砂によって次第に埋もれてしまった、とされています。
このことから、信楽の土は古琵琶湖の底の土である可能性が高いと言われています。

信楽の土は、焼成によって得られる温か味のある「火色」と、潤いのある「ビードロ釉」、そして荒い焼き肌の「焦げ」の景色により、優雅で趣きのある美しい信楽焼の表情を創り出します。

火色/ビーロド釉/焦げ

その歴史は古く、室町、桃山時代の茶道の道具として珍重され、江戸時代には登り窯による火鉢が造り出されました。
その後、明治、大正、昭和30年代後半に至る長きの間、火鉢は信楽焼の主力製品として造り続けられ、大火鉢産地として信楽焼の名を広めました。

信楽のやきものは庶民生活の日常必需品として幅広く使用されるようになり、特に茶壷を主にして、水壷、味噌壷、すり鉢、酒器など、多品種にわたり大量に生産されました。
大正時代にはインク瓶も焼かれていました。

信楽焼の狸このほか、信楽焼の代名詞とも言われる「タヌキ」があります。
やはり室町時代のお茶会で「タヌキ香合」が使われていたようですが、信楽では幕末に狸の置物が造られていた、という記録があります。

しかし今日のように全国的に狸の置物が流行るようになったのは、昭和26年、昭和天皇がこの地に行幸された時、沿道に旗を持った狸が並んでお迎えしたことが天皇のお気に召して、それがマスコミによって宣伝されたことがきっかけとなっています。

このように信楽焼は、その時代その時代に合わせ数々の膨大な焼き物を造り続けてきました。
いかに時代が移り変わっても、いつも生活の中にあって、人々のくらしを支え、役立ってきた歴史があります。

現在はこの伝統を生かし、信楽焼ブランドをめざしてつくり手たちの新しい試みが繰り広げられています。


--- 用語説明 ---

■ 花崗岩(かこうがん)  ↑戻る
陶磁器の製作に使う粘土のもととなる岩石です。
雨や風などにさらされ、風化してできた土が、良質の陶磁器の原料になります。
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■ 古代湖(こだいこ)  ↑戻る
湖の寿命は数千年から数万年と言われていますが、それ以前のおよそ十万年以上前から存在する湖を「古代湖」と呼んでいます。

■ 焼成(しょうせい)  ↑戻る
一般的に言われている陶器を「焼く」工程で、高温の窯の中で、焼いたり熱風を吹きかけることで、固く、一回り程小さくなります。
また、陶器にかけられた釉薬の色が、この時に現れます。
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■ 火色(ひいろ)  ↑戻る
深い紅色。「緋色」と書くこともあります。

■ ビードロ釉(ビードロゆう)  ↑戻る
釉薬(ゆうやく)のひとつで、青緑や黄色い色になります。

■ 登り窯(のぼりがま)  ↑戻る
陶磁器などの焼き物を、一度にたくさん焼くために考案された窯。
山の斜面を利用して、炉の中をいくつかの部屋に仕切りながら斜め上に長い形に作られており、下で火を焚くと窯全体が高温に保てる構造になっています。
部屋の数は、「割れる」偶数ではなく、「割れない」奇数になっています。

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